RISING SUN AGAIN
<106BBSより>

僕らの仙台、僕らの宮城、僕らの東北、僕らの日本
 投稿者:106Corp. / 投稿日:2011年 3月21日(月)10時57分53秒

3月11日、いまだ悪夢としか思えない震災が起きました。
まだ気持ちの整理が出来ていません。
そんな中、全国の皆さまから、
心強いご支援、胸が熱くなるメッセージを沢山いただきました。
ありがとうございます。

僕ら106は、
僕らが大好きなこの土地・この街が這い上がるために、
想いを込めて活動を続けていきます。

皆さま、是非お力をお貸し下さい。
宜しくお願いします。

>>20110312朝に

2011年3月11日14時46分、仙台市内にあるビルの21階で被災しました。
その夜は、ビルで過ごしました。
幸いなことに、非常用電源に切り替わり情報には困りませでした。
しかし…
夕方の報道では、仙台空港周辺に押し寄せる津波。見慣れた風景を飲み込んで行きました。
夜になれば、知り合いが住んでいる気仙沼の大規模火災が伝えられ。
日付が変わるころには、"若林区に200から300の遺体”のテロップ。
TVは虚しく伝え続けました。
そのビルは、仙台市内から太平洋海沿いまでを一望でき。
夜になった窓越しで。
階下には、幹線道路が大渋滞。車のテールランプが延々と続き。
南の方角では、仙台空港、名取市近辺で火災。津波による浸水を照らすように燃え。
東の方角では、仙台港の製油所、コンビナートが火災。その火柱の高さが明るく周りを照らし。
そして、朝を迎えました。
その朝は本当に穏やかで、普通の夜明けであれば朝日は春の暖かさを感じさせてくれるはずでした。
しかし、その朝日は何とも残酷なものとなりました。
南の方角には津波の浸水がきらきらと輝き。
東の仙台港からは黒々と上がる煙。
そして何より想像を絶することは、あの陽の根元には、たくさんの人々が、人々の命が横たわっているということ。
決して忘れない為に、その無念さを受け入れる為に、目を逸らさずしっかりと胸に刻み込みました。
この地に暮らす人間として、少しでも何かをしなければと思っています。
まだまだ泣けない方々の為に、もう泣けない方々の代わりに、我々が出来る何かを。

陽はまた昇る。必ず。

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